1972年(昭和47年)の2月2日。 日本中がテレビに釘付けになった日です。
「恥ずかしながら、生きながらえて帰って参りました」
グアム島のジャングルで28年間生き抜き、羽田空港に降り立った元日本兵・横井庄一さん(当時57歳)。 その姿は、高度経済成長に沸く日本に大きな衝撃を与えました。
今日は、彼が生き抜いた壮絶な過去と、ここ名古屋で掴んだ「家族の絆」についてお話しします。
「大宮島」での孤独な戦い
そもそも、なぜ横井さんはグアムにいたのでしょうか。 戦時中、グアム島は日本軍によって「大宮島」と呼ばれていました。 しかし昭和19年、アメリカ軍が上陸。激しい戦闘の末、横井さんは山中へ逃げ込みました。 そこから28年もの間、彼の「戦争」は続いたのです。彼を支えたのは、招集前に培った「洋服の仕立て屋」としての技術でした。 「パゴ」という木の皮の繊維を裂いて糸を作り、針金を研いで針を作り、自ら服を織り上げました。 住居は、竹やぶの下に掘った深さ2メートルの横穴。 昼間でも暗いその穴で、誰とも話さず、いつ敵に見つかるか分からない恐怖と戦い続けたのです。
エビ獲りの罠が、運命を変えた
「発見されたのは、帰国直前の1月24日の夕暮れ時でした。 横井さんが川に仕掛けた「エビ獲りのカゴ」を引き上げに行った際、現地の猟師2人と鉢合わせしてしまったのです。殺される!」 とっさにそう思った横井さんは、猟師に飛びかかりました。 しかし、彼らは横井さんを殺しませんでした。それどころか、優しく介抱し、温かいスープを与えたのです。 この偶然の出会いと、現地の人々の優しさがなければ、彼は永遠にジャングルの中にいたかもしれません。
「見せ物じゃない」と怒ったお見合い
日本へ帰る彼を乗せたのは、JALの特別チャーター機でした。 機長からの「横井さん、くつろいでください。ここはもう日本の領土です」というアナウンスを聞き、彼は何を思ったでしょうか。帰国後、横井さんは名古屋市に居を構えましたが、マスコミに追われる日々に疲れ、人間不信に陥っていました。 そんな彼を救ったのが、妻となる美保子さんでした。
帰国から半年後の8月。知人の紹介でお見合いをした時、横井さんは開口一番、こう言い放ったそうです。 「あんたも、珍しいもんを見に来ただけだろう」
しかし、美保子さんはその言葉に怒るどころか、彼の孤独と純粋さを感じ取りました。 その誠実さに横井さんの心も解け、なんと「その日のうちに」結婚が決まったといいます。 それから11月には熱田神宮で挙式。57歳と44歳の大人の恋は、驚くべきスピードで結実したのです。
名古屋・中川区で全うした生涯
その後、お二人は名古屋市中川区で静かな暮らしを営みました。 横井さんは自宅裏に窯を作り、陶芸に没頭。 「ジャングルでは全てが宝物だった」と、モノを大切にする暮らしを貫き、平成9年に82歳でその生涯を閉じられました。28年間の孤独を埋めるように、晩年は美保子さんと二人三脚で歩まれた横井さん。 2月2日は、そんな彼の数奇な運命と、平和の尊さを噛み締める日です。






