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2024[Thu]
10.03

10月10日は銭湯の日

時代

  

10月10日は、1964年に東京五輪が開催された日ですが、

1996年に銭湯の日として制定された日でもあります。



昔は銭湯がいたるところにありましたが、最近は昔ながらの

銭湯は消えつつあり、スーパー銭湯のような大型の大浴場の形態に変化

しました。


銭湯は法律では「公衆浴場」を次のように定義されています。

①「公衆浴場」とは、温湯、潮湯又は温泉その他を使用して、

公衆を入浴させる施設をいう。

②「公衆浴場」とは、公衆浴場法(昭和二十三年法律第百三十九号)

 第一条第一項に規定する公衆浴場であつて、

 物価統制令昭和二十一年勅令第百十八号)

 第四条の規定に基づき入浴料金が定められるものをいう。

「普通公衆浴場」とは、おおよそ「日常生活における保健衛生上必要な

 入浴のために設けられた公衆浴場」と定義されており、

 一般に、この「普通公衆浴場」を「銭湯」と呼んでいます。

 施設の衛生基準や浴槽水の水質基準などは、各都道府県毎に

 条例で定められています。

 日本のお風呂の歴史は、大陸から仏教の伝来とともに始まったようです。

 寺社にて僧侶が体を清めるために、入浴が奨励されたのが始まりで、

 病を退けて健康に良いということで、病人や貧しい人たちも

 寺社で入浴をすることがあったようです。


 鎌倉時代には、力をある寺社が無料で人々に入浴をさせていましたが、

 荘園制度の崩壊とともに、入浴料をとるようになったのが

 銭湯の起こりのようです。

 室町時代は京都で銭湯が増えていき、江戸時代になると

 徳川家康の時代に東京で銭湯が栄えました。

 江戸時代は防災の観点から庶民の家ではお風呂を作ることが禁止

 されていたことが、銭湯が増加した大きな理由です。


 19世紀初期は、東京で600軒を超える銭湯があったと

 言われています。

 太平洋戦争が終わって、復興が進んだ1965年東京オリンピックの

 翌年には全国で22,000軒の銭湯があり、

 銭湯の全盛期を迎えましたが、

 この1965年に大きな転機があります。

 TOTOが世界で初めてユニットバスを発表するのです。


 今は当たり前になっていますが、

 当時は画期的なお風呂で、イノベーションと呼ぶにふさわしい

 技術革新でした。以降、高度成長期とともに庶民が

 自分の家を持てるようになり、結果として銭湯が減少していきます。


 私も大学生の頃は、風呂桶とシャンプーを持って、

 銭湯に通ってましたが、皆様はどうでしたか?


 南こうせつの「神田川」の世界観に憧れた方も

 多かったのではないかと思います。

 神田川自体は、東京の井の頭公園にある井の頭池に源を発する

 荒川水系の支流ですが、今、歌詞を見直すと

 すごい歌だなと思いますね。


 あなたはもう忘れたかしら

 赤い手ぬぐいマフラーにして・・・・から始まって

 若い男女の銭湯からの帰り道が

 歌われていますが、

 歌詞の2番の後半で、題名の

 窓の外には神田川~ で、遠い世界の

 男女の物語が一気に具体的になって、

 知らない2人との距離が近くなる気がします。

 一世を風靡した歌は違うなと改めて思いました。

 

 ゴールドライフには、大浴場がありますから、

 遠くの銭湯を探しに行かなくても、大丈夫です。

 きっと昔の記憶がよみがえりますよ。

 

 

 

 

 

 

 

シニア向け住宅アドバイザー ライター:添田 浩司

安心安全な住まい、日々の健康や、自分らしい暮らしに役立つ情報、地域の話題などを配信していきます。

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