10月5日は、国民的アニメ『サザエさん』のテレビ放送が始まった日です。今から50年以上前、昭和44年(1969年)のこの日、日曜の夕方に初めて磯野家がブラウン管に登場しました。
長寿番組の代表格ですが、初めてサザエさんを見た日のこと、覚えていらっしゃいますか?
昭和44年、あの頃の「日曜日」の風景
1969年といえば、私たちも元気で、世の中が大きく変わろうとしていた、まさに時代の転換期でした。
世界的には、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功した年です。国内では、東京と愛知を結ぶ東名高速道路が全線開通し、本格的なモータリゼーションが始まりました。人やモノの流れが変わり、日本経済が大きく躍進していたのです。
そんな活気あふれる時代に始まった『サザエさん』は、私たちにとって「変わらないもの」の象徴のような存在になったのではないでしょうか。
日曜の夕方、食卓を囲みながら家族みんなでテレビの前に座っていた――。あの頃、テーマ曲が流れると、「楽しい週末が終わってしまう」と、ちょっぴり憂鬱な「サザエさん症候群」を感じた方も多かったかもしれませんね。
昭和44年を彩った話題
この頃、テレビ番組では『サザエさん』以外にも、私たちが夢中になった番組や文化がたくさん生まれています。
- 『8時だヨ!全員集合』も、実はサザエさんの放送開始日(10月5日)の前日、10月4日に放送がスタートしています。週末の夜の主役たちが誕生した、テレビ史に残る週でした。
- 映画では『男はつらいよ』の第1作が公開されました。「それをいっちゃー、おしまいよ」というセリフは、寅さんの口癖として当時の流行語にもなっています。
- 音楽シーンでは、水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」や、フォークブームを象徴する歌など、今も歌い継がれる名曲が誕生しています。
流行語と世の中の空気
当時のCMから生まれた「オー、モーレツ!」という流行語や、ハナ肇さんの「アッと驚くタメゴロー」など、どこか陽気で明るい言葉が飛び交っていました。
一方で、大学紛争が続いていた時期でもあり、世の中には新しいものへの期待と、社会に対する若者の熱いエネルギーが渦巻いていました。
そんな激動の時代にあって、『サザエさん』の変わらない日常の描写は、私たちにひとときの安らぎを与えてくれていたのかもしれません。
磯野家が教えてくれた「家族の温かさ」
磯野家といえば、波平さん、フネさん、サザエさん夫婦、そしてカツオ・ワカメ・タラちゃんという三世代同居の大家族です。
大家族が当たり前だった昭和の時代を映し出すように、家の中ではいつもちょっとした騒動が起きていました。カツオのいたずらに波平さんが雷を落とし、サザエさんがドジを踏んでも、最後はみんなが笑顔で終わるのがお決まりでした。
現代では核家族化が進みましたが、磯野家にはいつ見ても家族の絆や温かさを感じさせられます。
長きにわたり、日本中の家族に愛されてきたサザエさん。今日の夕飯時、ふと磯野家の賑やかな笑い声を思い出して、ご自身の大切な家族との時間に改めて目を向けてみてはいかがでしょうか。






