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2025[Fri]
08.01

8月1日は世界ビール・デー!高度成長期を生き抜いた父たちの、あの頃のビール物語

日々雑感あの頃



皆さん、こんにちは!いよいよ8月に入りました。今年は大人しかった蝉の声が、ようやく聞こえるようになってきました。

さて、今日8月1日は「世界ビール・デー」です。ビールの作り手、運び手、そして私たち飲む人に感謝する日。この記念日に、団塊の世代にとっての「ビール」が、どのような存在だったのか、少し深く掘り下げてみたいと思います。

戦後、何もないところから立ち上がり、がむしゃらに働き、日本を築き上げてきた団塊の世代のみなさん。あの頃のビールは、今の様な単なる飲み物ではありませんでした。それは、明日への活力であり、ささやかな贅沢であり、そして何よりも、平和と豊かさを象徴する、特別な何かといってよいものだったのではないでしょうか?

食糧難の時代から、憧れのビールへ

団塊の世代が幼い頃、戦後の食料難の中で、ビールは手の届かない存在でした。街にはまだ焼け跡が残り、食卓には質素なものが並ぶ日々。そんな時代、父や祖父がたまに手にするビールは、まさに「幻の酒」だったにでしょう。

やがて日本が少しずつ復興の兆しを見せ始めると、ビールは「お土産」や「ハレの日」の飲み物として、その存在感を増していきます。お中元やお歳暮で贈られるビールの包み紙には、特別な重みが感じられました。

当時、贈答品としてビールが選ばれることは、その家庭の豊かさを示すバロメーターでもありました。デパートの贈答品コーナーに山と積まれたビールの箱は、まさに「憧れ」の象徴。1950年代後半から1960年代にかけて、ビールはお歳暮・お中元の主力商品としての地位を確立していきます。特に、まだ生活必需品が行き渡っていない中で、ビールは「普段はなかなか買えない、ちょっとした贅沢」として、受け取った人を心から喜ばせる特別な贈り物だったのです。

憧れの「瓶ビール」と、それぞれの「味」

昭和30年代、40年代と高度経済成長期を迎えるにつれて、ビールは少しずつ庶民の食卓に浸透していきます。この頃、ビールは飲食店だけでなく、家庭でも飲まれるようになります。1960年代には、都市部で約半数、農村部でも半数以上が家庭でビールを消費するほどになりました。この要因は、電気冷蔵庫の普及したことです。1960年には10%程度だった冷蔵庫の普及率が、1971年には90%を突破し、「三種の神器」の一つとして、いつでも冷たいビールが自宅で楽しめるようになったのです。

当時のビールといえば、やはりキリン、アサヒ、サッポロ、サントリーといった、今もなお続く、 大手メーカーの製品が中心でした。

  • キリンビール:「ラガービール」が代名詞でしたね。苦味とコクがあり、しっかりとした飲みごたえが「大人の味」を演出しました。
  • アサヒビール:日本初の缶ビールを発売したのがアサヒでした。後に「スーパードライ」で一世を風靡することになります。
  • サッポロビール:北国の雄として、力強いイメージがありました。「サッポロラガー」の赤い星のラベルは、どこか異国情緒も感じさせ、憧れの対象でした。お歳暮で贈られてくるサッポロビールは、どこか特別な高級感を漂わせていたものです。
  • サントリービール:後発ながらも、洋酒メーカーとしての矜持を感じさせる、少しおしゃれなイメージでした。

どのビールも、それぞれに個性がありました。

ビール消費量の飛躍と、缶ビールの登場

高度経済成長期、日本のビール市場は大きく拡大しました。当時のビールの年間出荷量を見てみましょう。 1955年(昭和30年)頃には約100万キロリットル前後だったビール出荷量が、経済成長とともに飛躍的に伸び、1965年(昭和40年)には約200万キロリットルを突破、そして1975年(昭和50年)には約400万キロリットルに迫る勢いでした。この伸びは、まさに日本の経済成長と、私たちの生活水準の向上を映し出す数字と言えるでしょう。 参考:キリンビール大学「日本のビールの歴史」他、各社統計資料


ちなみに、2023年のビール系飲料(ビール、発泡酒、新ジャンル合計)の総出荷量は約360万キロリットル程度(ビール酒造組合発表)で、当時と比較すると、私たちの世代が経済を牽引し、ビールの消費を大いに盛り上げていたことがよくわかります。

そんな中、ビールの容器にも大きな変化が訪れます。 日本で初めて缶ビールが発売されたのは、1958年(昭和33年)9月15日、アサヒビールの前身である朝日麦酒から「アサヒゴールド」でした。翌1959年にはサッポロビール、1960年にはキリンビールも缶ビールを発売し、各社が参入していきます。

しかし、当初の缶ビールは、まだ鉄缶で錆びやすく、缶切りが必要なタイプが主流でした。そのため、すぐに瓶ビールに取って代わることはありませんでした。

転機が訪れたのは、1965年(昭和40年)頃から各社がプルトップ缶を発売し、缶切りが不要になったこと、そして1971年には日本初のオールアルミ缶が登場したことでした。アルミ缶は軽量で錆びにくく、ゴミのスペースも少なくて済むことから、消費者の間で人気が高まります。さらに、この頃からの自動販売機の普及も、缶ビールの浸透を後押ししました。

手軽に持ち運べ、どこでも飲める缶ビールは、ピクニックやバーベキュー、そして旅行先など、屋外での楽しみ方を大きく広げました。瓶ビールが主流だった時代から、徐々に缶ビールが家庭やレジャーシーンに浸透していく背景には、私たちのライフスタイルの変化と、いつの時代も、より便利で手軽なものを求める人のあくなき欲望があったのでしょう。

ビールが語る、私たちの歴史

世界ビール・デーの今日、グラスを傾けながら、あの頃の日本、そして若き日の自分を思い出してみませんか?

あの頃のビールは、ただの飲み物ではありませんでした。それは、貧しかった時代を乗り越え、豊かさを手に入れようと必死に生きてきた人間の汗と涙、青春の象徴のような存在だったのかもしれません。

さあ、今夜はあの時代から今日までを走り抜けた自分自身に、心からのねぎらいを込めて、 乾杯しようではありませんか!


シニア向け住宅アドバイザー ライター:添田 浩司

安心安全な住まい、日々の健康や、自分らしい暮らしに役立つ情報、地域の話題などを、様々な視点から配信していきます。

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