皆さん、こんにちは!旅のお話をするのが大好きな筆者です。今日は、まるでブラタモリさんのロケ隊に同行しているかのような気分で、三重県松阪市にひっそりと佇む興味深い場所、「旧長谷川治郎兵衛家」を全5回にわたる壮大な(?)シリーズでお届けしたいと思います!
この旧長谷川治郎兵衛家、実は松阪市の指定文化財にもなっていて、その歴史を紐解くと、私たちが知っている松阪のイメージとは一味違う、意外な事実が次々と浮かび上がってきます。さあ、一緒に歴史の謎を解き明かしに行きましょう!

第1回:プロローグ~松阪の奥深さに迫る歴史の扉~
皆さん、三重県松阪市と聞いて、何を思い浮かべますか?多くの方が「松阪牛」を連想されることでしょう。確かに、松阪牛は日本が世界に誇るブランド牛であり、その美味しさは格別です。しかし、松阪の魅力はそれだけではありません。この地には、江戸時代からの長い歴史と文化が息づいており、特に「商人(あきんど)の町」としての繁栄は、日本の経済史に大きな足跡を残しています。
今日から皆さんと一緒に巡るのは、そんな松阪の歴史の奥深さに触れることができる場所、市の指定文化財にもなっている「旧長谷川治郎兵衛家」です。一見すると、どこにでもありそうな古いお屋敷に見えるかもしれません。しかし、この旧長谷川治郎兵衛家を深掘りしていくと、私たちが想像もしなかったような、壮大な歴史の物語が浮かび上がってきます。
- なぜ、松阪のこの場所に、紀州藩の「飛び地」があったのか?
- 長谷川治郎兵衛家とは一体どんな家で、なぜこの地で繁栄したのか?
- お伊勢参りの大ブームと、この場所がどう結びついていたのか?
- そして、松阪木綿はなぜ全国的に大流行したのか?
このシリーズでは、単なる古い建物の説明に終わらせず、当時の人々の息遣いや、街道を行き交う旅人たちの賑わい、そして時代の大きな流れが、どのようにこの旧長谷川治郎兵衛家に影響を与え、その歴史を形作っていったのかを、皆さんと一緒に感じていきたいと思っています。
さあ、皆さんも歴史のタイムカプセルを開ける準備はよろしいでしょうか?松阪の知られざる一面に触れる旅へ、いざ出発です!
次回からは、いよいよ旧長谷川治郎兵衛家の核心に迫っていきます。お楽しみに!