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今回は、三重県津市にひっそりと佇む津観音を舞台に、かつての賑わいの理由を求めて、全3回シリーズでお送りします。


「観音さん」の名で親しまれる津観音。今でこそ静かな佇まいですが、江戸時代には伊勢参りに訪れる人々でごった返し、大変な賑わいを見せていました。さあ、一緒にその栄華の痕跡を探しに出かけましょう。
東海道五十三次と伊勢参りの熱気
江戸時代、一生に一度は行きたいと誰もが願ったのが「お伊勢さん」こと伊勢神宮への参拝でした。当時は、現在の国道1号線にあたる東海道五十三次が主要な交通路。江戸から京都・大阪までを結ぶこの街道は、まさに日本の大動脈でした。
旅人たちは、東海道をひたすら西へ。そして、宮宿(現在の名古屋市熱田区)から海路で桑名へ渡り、そこから「伊勢路」と呼ばれる街道を通って伊勢を目指すのが一般的なルートです。
なぜ津観音が賑わったの?
では、なぜ東海道から少し外れた津観音が、伊勢参りの人々に注目されたのでしょうか?
実は、津の港は、宮宿から船で渡るルートだけでなく、江戸や大阪方面から船で直接来られる港としても栄えていました。海路で津の港に到着した人々は、まず津観音にお参りし、旅の無事を祈ったと言われています。
さらに、津は津藩の城下町でもあり、宿場町としても発展していました。伊勢神宮へ向かう人々にとって、津観音は伊勢参りの手前にある「門前町」のような役割を果たしていたのです。
参拝客は、津観音でお参りを済ませた後、門前町の茶屋で一息ついたり、地元の名産品を土産に求めたりと、大変な賑わいを見せていたことでしょう。想像してみてください、多くの旅人が行き交い、活気に満ちた当時の津観音周辺を。今の静けさからは想像もつかないほど、そこには熱気があふれていたことでしょう。






