皆様、こんにちは!
今回は、三重県津市にひっそりと佇む津観音を舞台に、かつての賑わいの理由を求めて、全3回シリーズの最終回をお送りします。
さて、いよいよ最終回!前回までで、江戸時代の津観音がいかに賑わっていたか、そして日本三大観音としての格式、さらには観音菩薩の壮大な歴史まで見てきました。今回は、津観音が歩んできた苦難の歴史、特に度重なる火災からの復興に焦点を当てながら、現在の境内に残る見どころを探し、津観音の奥深い魅力を堪能しましょう。
津藩の歴史と城下町津の繁栄
津観音の話を深掘りする上で、津のまちの歴史にも少し触れておきましょう。江戸時代、津の地は津藩が治めていました。この津藩は、初代藩主である藤堂高虎によって築かれました。彼は戦国の世から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、築城の名手としても知られています。その手腕で津城を大改築し、城下町としての津の礎を築きました。
藤堂家はその後、幕末まで約260年もの長きにわたり、津藩主としてこの地を治めました。津は、その石高が27万石を超える大規模な藩であり、伊勢湾に面した港を持つ海上交通の要衝でもあったため、政治・経済・文化の中心として大いに栄えました。

参照URL: https://tsukanko.jp/manage/wp-content/uploads/2024/02/pamphlet_tanken.pdf
そして、この津の港ですが、現在の津なぎさまちや津マリーナがある場所とは異なり、当時の津城の東側、つまり城下町に隣接する形で存在していました。 津城の堀の一部がそのまま港として利用されたり、城下町から直接船着き場へとアクセスできるような構造になっていたのです。これは、城下町と港が一体となって機能し、物資の輸送や人々の往来を支えていたことを物語っています。伊勢参りの人々も、この城下町に密着した港で上陸し、津観音へと足を運んでいたのです。
苦難を乗り越えて
現在の津観音の伽藍は、比較的新しいものだとご存知でしょうか?実は津観音は、歴史の中で何度も火災に見舞われ、そのたびに焼失と再建を繰り返してきました。
最も大きな被害を受けたのは、昭和20年(1945年)の津空襲です。太平洋戦争末期、津市は大規模な空襲に見舞われ、津観音も本堂をはじめとするほとんどの伽藍が灰燼に帰してしまいました。戦災によって失われた多くの文化財や建物を思うと、胸が締め付けられる思いがします。
しかし、津観音は決してそこで終わりませんでした。戦後の混乱と物資不足の中、地域の人々の強い信仰心と熱意によって、少しずつ復興への道を歩み始めました。
今に残る建物の見どころと文化財
さあ、復興を遂げた津観音の境内を歩いてみましょう。
津観音は、その長い歴史の中で培われた多くの寺宝を今に伝えています。特に、以下のものが国の文化財に指定されています。
- 国指定重要文化財「絹本著色 弘法大師像」: 鎌倉時代に描かれた弘法大師空海の肖像画で、保存状態が非常に良好であり、文化史的にも重要な作品として評価されています。津観音の寺宝の中でも、特に貴重なものです。
- 国登録有形文化財「本堂(観音堂)」: 境内の中心となるこの本堂は、津空襲で焼失した後、昭和40年(1965年)に再建されました。鉄筋コンクリート造りでありながら、その姿は伝統的な入母屋造(いりもやづくり)の様式美を受け継ぎ、堂々たる風格を湛えています。柱や梁には美しい彫刻が施され、内部にはご本尊である聖観世音菩薩が祀られています。戦後の復興を象徴するこの建物は、まさに人々の信仰の力と、困難を乗り越える強い意志の結晶と言えるでしょう。
- 五重塔: 本堂の西側にそびえ立つ五重塔は、平成8年(1996年)に完成した比較的新しい建物です。鮮やかな朱塗りの塔は、青空に映えて一層その美しさが際立ちます。奈良の法隆寺を模したとされるこの塔は、木造ではなかったものの、その優美な姿は津観音の新たなシンボルとして、多くの参拝客を惹きつけています。塔の内部には、仏舎利(お釈迦様の遺骨)が納められていると伝えられています。
- その他、境内の諸堂と津市指定文化財: 境内には、本堂と五重塔の他にも、戦災を免れたり、後に再建されたりした様々な建物があります。例えば、境内の入口に立つ山門は、津空襲の焼失を免れた貴重な建物であり、津市の有形文化財にも指定されています。また、縁結びにご利益があるとされるお福さんを祀るお堂や、弘法大師ゆかりの大師堂など、それぞれの建物が津観音の長い歴史と信仰を今に伝えています。津観音では、これらの指定文化財を含む約600点もの寺宝を収蔵庫に保管しており、津観音資料館で一部を随時公開しています。
歴史の積み重なり
津観音は、約1300年もの長い歴史の中で、災害や戦火という大きな困難を乗り越え、そのたびに人々の手によって再建されてきました。それは単なる建物の復元ではなく、信仰の灯を絶やさず、文化を継承していく人々の強い願いの表れです。
かつて伊勢参りの旅人たちが賑わった門前町は形を変えましたが、津観音は今も変わらず、人々の心の拠り所として存在し続けています。境内を歩きながら、古代から現代まで続く悠久の時の流れ、そしてそこに込められた人々の祈りや願いを感じてみてください。ブラタモリのタモリさんもきっと、津観音の奥深さに感銘を受けることでしょう。
3回にわたる「津観音巡り」、いかがでしたでしょうか? この街ガイドが、皆さんが津観音を訪れるきっかけになれば幸いです。機会があれば、その歴史と今に触れてみてください!






