
皆様、こんにちは!
今回は、三重県亀山市の歴史を象徴する場所、亀山城跡を訪れます。一歩足を踏み入れると、そこは現代の喧騒から離れ、まるで時が止まったかのような、厳かな空気に包まれます。この小高い丘には、かつて威容を誇った亀山城がそびえ立ち、幾多の歴史の舞台となってきました。
鎌倉から戦国へ ~関氏の時代と織田信長の波~
亀山城の歴史は、鎌倉時代にこの地を治めた関実忠(せきさねただ)が、文永2年(1265年)にこの地に城を築いたことに始まります。伊勢平氏の流れを汲む関実忠は、伊勢国鈴鹿郡関谷を領有したことから「関氏」を名乗るようになったと伝わります。彼は、鎌倉幕府の3代執権・北条泰時に従い、承久の乱にも出陣するなど、武士として活躍した人物です。関氏はこの亀山城を拠点に、およそ300年以上にわたり、この地を治めていきました。
しかし、戦国の世が到来すると、その平穏は破られます。長らく関氏が治めてきた亀山城にも、時代の大きな波が押し寄せます。関氏16代当主の関盛信の時代、天下統一を目指す織田信長が伊勢へと侵攻。元亀4年(1573年)、亀山城は信長によって一時的に落城の憂き目を見ます。この出来事は、関氏の長きにわたる支配の終焉を告げ、亀山が戦国の激しい渦中に巻き込まれていく転換点となりました。信長にとって、亀山は東海道と伊勢を結ぶ要衝であり、その支配は天下統一への重要な足がかりだったのです。
城主たちの興亡と、交通の要衝としての発展
信長による落城後、亀山城は豊臣秀吉の天下統一の過程で、岡本良勝によって大規模な改修が行われ、近世城郭として整備されました。この頃には天守も築かれ、城の姿は大きく変わっていきます。
江戸時代に入ると、徳川家康は亀山を戦略的に重要な拠点と捉え、岡部長盛をはじめとする譜代大名を次々と城主に配しました。歴代の城主たちは、城郭の整備だけでなく、城下町の整備や治水事業にも力を入れ、交通の利便性と経済的な発展を両立させようとしました。
特に、東海道の要衝である亀山宿や、その先の関宿を支配下に置く上で、亀山城の存在は極めて重要でした。城が栄えることは、すなわち、この地の平穏と繁栄に直結していたのです。城主たちが整備した道や制度は、旅人や物資の往来を活発にし、宿場町の繁栄を間接的に支えていたと言えるでしょう。
泰平の世を築いた石川氏 ~亀山神社に込められた時代を越える祈り~
江戸時代の中頃、延享元年(1744年)に、備中松山から**石川総慶(いしかわふさよし)**が亀山城主として入封します。以来、明治維新まで代々石川氏がこの地を治めました。
石川総慶は、亀山藩主として様々な功績を残しました。彼は藩の財政再建に取り組み、農村の立て直しや新田開発を奨励するなど、領地の安定と発展に尽力しました。また、領民の教化にも力を入れ、文化や教育の振興にも貢献したと言われています。彼の治世は、約120年続く石川氏による亀山藩支配の礎を築き、この地に安定した泰平の世をもたらしました。
石川氏がこの地にもたらしたものの一つが、亀山城跡の隣に鎮座する亀山神社です。石川総慶は、城内に小さな祠を設置し、藩の守護神として「真澂神社(ますみじんじゃ)」と称して崇敬しました。この神社は、藩主石川氏の祖先である源義家らを祀っており、城と城下町の安寧、そして人々の平穏を願う歴代城主の篤い信仰が込められていました。


かつては城内にあったこの神社は、今も変わらず亀山城跡のすぐ隣で、静かにこの地の歴史を見守り続けています。城跡を訪れた際には、ぜひ亀山神社にも足を運び、城主たちの時代を越えた祈りに触れてみてください。
現代へと受け継がれる歴史
多聞櫓と壮大な石垣が残る亀山城跡は、かつての激動の歴史を今に伝えます。そして、その隣に佇む亀山神社は、城主たちの祈りが形となって残る場所です。かつては軍事拠点であり、権力の象徴であった城は、現代では市民の憩いの場へと姿を変え、春には桜が咲き誇り、多くの人々が訪れます。

城主たちの物語、そして彼らがこの地に残した足跡は、現代の亀山市にも確かに受け継がれています。歴史に思いを馳せながら、この地の持つ奥深さに触れる旅を、ぜひお楽しみください。
。






