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今回から全4回にわたり、三重県亀山市にある関宿 の知られざる歴史と、かつての賑わいを深掘りしていきます。
関宿と聞いて、どんなイメージをお持ちでしょうか? 江戸時代、ここは日本の大動脈東海道五十三次の重要な宿場町として、多くの旅人で賑わいました。浮世絵で有名な歌川広重の作品にも描かれたように、東海道は江戸と京都を結ぶ主要街道。関宿は、江戸から数えて四十七番目、京都を目指す旅人にとっては旅の終盤、江戸へ向かう旅人にとっては新たな旅路の始まりを感じさせる要衝でした。

なぜ関宿はこれほど栄えたのでしょうか?最大の理由は、その地理的な重要性です。関宿は、伊勢国(現在の三重県)と近江国(現在の滋賀県)の国境に位置し、東海道屈指の難所である鈴鹿峠 を越える手前の拠点でした。旅人たちはここで身支度を整え、峠越えに備え、また峠を越えてきた旅人にとっては、ようやく一息つける安堵の場所でもあったのです。

さらに、関宿は東海道だけでなく、伊勢神宮への参拝客が通る伊勢参宮街道との分岐点でもありました。そのため、東海道と伊勢参宮街道を行き交う人々が交錯する、まさに交通の要衝として、その重要性を高めていったのです。
当時の宿場町には、様々な旅人を受け入れるための多様な宿泊施設がありました。
- 本陣(ほんじん):大名や公家、幕府の役人など、身分の高い人々が宿泊する最も格式の高い宿です。宿場の中心部に位置し、広大な敷地に立派な建物が建ち並び、厳重な警備が敷かれていました。一般の旅人は利用できませんでした。
- 脇本陣(わきほんじん):本陣に次ぐ格式を持つ宿で、本陣が満員の場合や、本陣に泊まるほどではないが身分の高い人々が利用しました。こちらも一般の庶民が利用することはできません。
- 旅籠(はたご):一般の庶民や商人が利用する宿泊施設です。食事の提供も行われ、多くの旅人がここで疲れを癒やしました。現在の旅館やホテルのような役割を果たしていました。
- 木賃宿(きじんやど):旅籠よりもさらに簡素な宿で、宿泊代とは別に、薪代や炭代といった「木賃」を払って泊まることが多かったです。食事は提供されず、旅人が自分で炊事をするのが一般的で、より安価に旅をしたい人々が利用しました。

これらの宿場施設が充実していたことが、関宿の繁栄を支える大きな要因だったのです。想像してみてください、当時の関宿は、まるで現代の高速道路のサービスエリアのように、様々な人々が行き交う活気あふれる拠点だったのでしょうね。






