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Machi Guide
街ガイド
2025[Wed]
07.16

第2回 庶民の夢「お伊勢参り」と宿場の風景

歴史関宿亀山市東海道53次


皆様、こんにちは! 第1話では関宿が交通の要衝として栄えた理由と、宿場の多様な宿泊施設についてご紹介しました。今回は、関宿の繁栄に欠かせなかった「お伊勢参り」に焦点を当て、江戸時代の庶民がどのようにして伊勢神宮を目指したのか、そして宿場の日常がどうだったのかを詳しく見ていきましょう。

江戸時代、「お伊勢参り」は、庶民にとって「一生に一度は行きたい」と願う、まさに夢の旅でした。現代のように交通手段が発達していない時代、遠方から伊勢まで旅をするのは、費用も時間もかかり、並大抵のことではありません。農作業を休むことが許されない百姓にとっては、特に困難なことでした。

では、田舎の百姓たちは、どうやってお伊勢参りを実現したのでしょうか? その一つが、「講(こう) と呼ばれる組織の存在です。村や地域ごとに「伊勢講」などの講が結成され、毎月少しずつお金を積み立てていきました。そして、数年に一度、その積立金を使って、講の中から代表者が選ばれ、みんなの願いを背負って伊勢へ向かうのです。代表者の選び方も様々で、中には「富くじ」 のような形で、くじ引きで当たった人がお伊勢参りに行ける、という地域もあったそうです。これは、まさに現代の宝くじに当たるような感覚で、当たった人は村中の羨望の的となり、盛大に見送られたことでしょう。


また、旅の途中で宿代や食費を節約するため、多くの庶民は「おかげ参り」と呼ばれる、集団での大移動を行いました。これは、伊勢神宮の御利益にあやかろうと、何十万人もの人々が一斉に伊勢を目指す現象で、道中では「施し(せぎ)」を受けることもありました。見知らぬ土地の人々が旅人に食べ物や宿を提供することで、旅はさらに現実的なものとなったのです。

関宿は、このお伊勢参りの人々にとっても重要な宿場でした。東海道と伊勢参宮街道の分岐点であるため、多くの参拝客が関宿を通過し、あるいはここで旅の疲れを癒やしました。宿場は、お伊勢参りの活気で一層賑わい、旅籠や木賃宿は常に満員御礼だったことでしょう。

宿場町の運営には、江戸幕府によって任命された「宿役人(しゅくやくにん)」 と呼ばれる人々が当たっていました。彼らは、宿場の治安維持、宿泊施設の管理、人馬の継ぎ立て(次の宿場へ人や荷物を運ぶための手配)など、多岐にわたる業務を担い、旅人たちが安心して旅を続けられるよう重要な役割を果たしていました。

そして、宿場には必ず「高札場」が設けられていました。これは、幕府や藩が定めた法度や掟、通達などを板に書いて掲示した場所で、旅人や住民に周知させるための重要な役割を担っていました。高札場の前では、多くの旅人が足を止め、掲示された内容を読み解いていたことでしょう。



シニア向け住宅アドバイザー ライター:添田 浩司

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