三重県最北端、鈴鹿山脈の麓に春の訪れを告げる、いなべ市梅林公園。 4,500本の梅が描く紅白のパッチワークは、今まさに最高潮の見頃を迎えています。

しかし、この絶景の裏側には、かつての「いなべ公園」から受け継がれた精神と、地域の資源を無駄にしない「再生」への執念がありました。
原点としての「いなべ公園」
いなべの街づくりの原点は、旧員弁町時代に整備された「いなべ公園」にあります。 起伏の激しい地形をあえて活かし、展望塔から鈴鹿の山々を望む。その「自然と共生し、景観を慈しむ」という市民の誇りが、2002年の農業公園(梅林公園)開園の土壌となりました。
この梅林公園は、単なる観光地ではありません。かつての耕作放棄地や、農業の未来をどう守るかという、いなべ市の挑戦の歴史そのものなのです。
「捨てるはずの梅」が、世界基準の味に変わるまで
広大な梅林を歩いたあと、ぜひ隣接する農業体験館へ足を運んでみてください。そこには、驚くべき「再生」のドラマが詰まっています。
特設コーナーでひときわ存在感を放つ地ビール。 実は、この広大な梅林でたわわに実る梅の多くは、観賞用ゆえに活用が難しく、かつては「捨てるしかない」存在でした。その梅に新たな命を吹き込んだのが、世界的な評価を受ける三重の雄「伊勢角屋麦酒」とのコラボレーションです。
捨てられるはずだった梅を丁寧に漬け込み、確かな醸造技術で仕上げられたビール。一口飲めば、梅の爽やかな酸味とともに、地域の資源を大切にする「いなべの矜持」が伝わってきます。
同じく園内の梅を有効活用した「梅シロップ」も、この土地の知恵の結晶。いなべの自然の中で育った梅をじっくりと漬け込み、老若男女に愛される「いなべの雫」へと生まれ変わりました。
逆境を「誇り」に変えた、いなべのそば
建物を出て、出店の一角から漂う香ばしい出汁の香りに誘われると、そこにはいなべ自慢の「そば」があります。今や「いなべといえば、そば」と言われるまでのブランドを築くには、並々ならぬ苦労がありました。
始まりは2002年頃。増え続ける休耕田の対策として、寒暖差の激しいいなべの気候に合う「そば」の栽培がスタートしました。しかし、当初は「ただ植えただけ」の状態で、商品化には程遠いものでした。 そこから「いなべを日本一のそばの里に」という旗印のもと、農家が栽培技術を磨き、製粉会社が立ち上がり、さらには「いなべ市そば打ち同好会」が結成されるなど、官民一体となった挑戦が始まりました。2009年には「そばの里・いなべ」を宣言。単なる農産物から、街を代表する「文化」へと昇華させたのです。
他産地との決定的な違いは、その「鮮度」と「挽き方」にあります。 いなべ産のそばは、鈴鹿山脈から吹き降ろす冷たい風によって実が締まり、風味が凝縮されます。さらに、多くの店や商品で採用されているのが、熱を持たせない「石臼挽き」。手間はかかりますが、そば本来の香りを損なわず、噛むほどに広がる独特の甘みを生み出します。 出店で提供される温かい一杯からも、その力強い風味をしっかりと感じ取ることができます。
喧騒を離れた建物内では、地元の農家さんたちが手掛けた「草餅」や「山菜おこわ」が静かに出迎えてくれます。 そこにあるのは、いなべの土壌が育んだよもぎの濃厚な香りと、一粒一粒が立った餅米の質感。派手な演出はなくとも、丁寧に並べられたその姿に、いなべの人々の誠実な仕事ぶりが垣間見えます。
おわりに:歴史を歩き、未来を味わう
いなべ市梅林公園を訪れるということは、単に花を見るということではありません。 「いなべ公園」から始まった景観への愛着が、捨てられるはずの梅をビールに変え、負の遺産だった休耕田を、日本中から愛好家が集まる「そばの里」に変えてきた。その「再生の歴史」の最先端を味わう体験なのです。


本日、私が目にした紅白の絶景。その一輪一輪に、いなべの人々の知恵と意地が咲き誇っていました。






