
こんにちは! 伊賀城の歴史と高石垣の謎を巡る旅も、いよいよ最終回です。前回は、藤堂高虎が伊賀城の高石垣に込めた驚くべき築城技術と、伊賀支配への並々ならぬ執念について紐解きました。今回は、なぜあの壮大な高石垣の上に天守が完成しなかったのか、その失われた天守の謎に迫り、現代に息づく伊賀城の魅力を再発見していきましょう。タイムスリップしたかのように、歴史の足跡をたどります。
幻に終わった天守閣の夢
藤堂高虎は、伊賀城に「日本一の天守」を築く計画だったと言われています。しかし、その夢は叶いませんでした。なぜ、あれほどまでに強固な高石垣を築きながら、肝心の天守は完成を見なかったのでしょうか?
その最大の理由として挙げられるのが、1611年(慶長16年)に発生した暴風です。当時、天守は建設の途中にありましたが、この猛烈な嵐によって倒壊してしまったのです。
徳川家康は、この未曽有の災害を目の当たりにし、そして高虎が築城に投じる莫大な費用と労力を鑑み、これ以上の再建を許しませんでした。もはや戦乱の時代は終わりを告げ、天下泰平の世に向かっていたため、そこまで大規模な天守は必要ないと判断されたのでしょう。高虎にとって、伊賀の地での威厳を示す最後の砦であった天守の夢は、無情にも嵐によって打ち砕かれてしまったのです。
この出来事により、伊賀城は「天守なき名城」として、その名を後世に残すことになります。しかし、その高石垣は、高虎の築城への情熱と、当時の最高の技術が結集された証として、今も伊賀の地に力強くそびえ立っているのです。
伊賀城、そして高石垣の今
その後、伊賀城は高虎が去った後も、藤堂氏の支城として利用されました。そして、明治維新を経て、廃城令によって建物の多くは取り壊されてしまいます。
しかし、市民の熱い想いと努力によって、伊賀城は新たな生命を吹き込まれます。現在、私たちが目にすることができる優美な天守閣は、昭和初期に地域の有志たちの尽力によって再建されたものです。これは木造としては数少ない本格的な復元天守で、伊賀の人々が故郷の歴史と文化を大切にする心が生み出した結晶と言えるでしょう。
そして、その土台を支える高石垣は、約400年の時を超え、今も当時の姿をほぼとどめています。実際に現地に行ってみると、その想像をはるかに超える高さに、体が震えるような感覚を覚えることでしょう。その存在感は、歴史のロマンを感じさせてくれます。石垣の一つ一つに、名もなき石工たちの汗と涙、そして高虎の壮大な夢が刻まれているかのようです。
伊賀城の魅力再発見
伊賀城はまさに「街のシンボル」です。
- 歴史散策: 城内を散策すれば、高石垣の迫力に圧倒され、かつての武将たちの息遣いを感じることができます。
- 絶景ポイント: 天守閣からは、伊賀の城下町を一望できます。特に桜の季節や紅葉の時期は、息をのむような美しさです。
- 心のリフレッシュ: 広々とした城の敷地内は、散歩やジョギングに最適です。美しい自然の中で、心身ともにリフレッシュできるでしょう。
- 文化に触れる: 城内には、伊賀流忍者博物館や俳聖殿(松尾芭蕉を祀る)など、伊賀ならではの文化施設も点在しています。
伊賀城の高石垣は、ただの防御壁ではありません。それは、激動の時代を生き抜いた人々の知恵と努力、そして夢の結晶です。
3回にわたる伊賀城と高石垣の旅、いかがでしたでしょうか? ぜひ一度、現地を訪れて、歴史のドラマを肌で感じてみてください。






