2月9日。今日は「ふく(河豚)の日」です。 「2(ふ)9(く)」の語呂合わせで、本場・下関では、縁起を担いで濁らずに「ふく(福)」と呼びます。
今でこそ冬の味覚の王様ですが、かつては「鉄砲(当たれば死ぬ)」と呼ばれ、長く禁止されていた歴史をご存じでしょうか。 その禁を解いたのは、あのご近所(山口県)出身の宰相、伊藤博文でした。
今日は、ふぐ解禁にまつわるドラマと、歴史の舞台となった料亭のお話しです。
■時化が生んだ奇跡
豊臣秀吉の時代から、武士がふぐを食べることは固く禁じられていました。 その歴史が動いたのは、明治21年(1888年)のことです。ある日、初代内閣総理大臣・伊藤博文が帰省の折に、下関の料亭「春帆楼」を訪れました。 しかし、その日はあいにくの大時化。 船が出せず、魚が全くありませんでした。
「総理に出す魚がない……」 困り果てた女将は、打ち首覚悟で、禁制の「ふぐ」を御膳に出したのです。 恐る恐る出したその料理を食べた伊藤博文は、あまりの美味しさに驚嘆しました。
「この魚は何か」と問われ、女将が正直に答えると、伊藤は怒るどころか、 「これほど美味いものを禁じるのは、かえって国益を損なう」 として、当時の山口県令(知事)に命じ、ふぐ食を解禁させたのです。
これが、春帆楼が「ふぐ料理公許第一号店」となった由来です。 もしあの日、嵐が来ていなければ、私たちが堂々とふぐを食べられる日は、もっと先だったかもしれません。
■日清講和条約も「ふぐ屋」で?
そして明治28年(1895年)。 この春帆楼は、世界史の重要な舞台となります。 日清戦争の講和会議(下関条約)です。伊藤博文は、全権大使である清国の李鴻章の交渉の場として、お気に入りの春帆楼を選びました。 関門海峡を見下ろす絶景と、自らが愛したふぐ料理で、大国の使節をもてなそうとしたのでしょうか。 歴史的な条約をふぐ料理店で結ぶというのは、伊藤博文がどれほどふぐを愛していたのかを物語るエピソードです。
■「福」を食す幸せ
伊藤博文が愛し、歴史を動かす活力となった「ふく」。 薄造りの美しさを愛でながらいただく時間は、まさに「福」を体に取り込むような贅沢なひとときです。寒い日が続きますが、温かい鍋や美味しいお食事は、明日への一番の活力になります。 皆様も今夜は、旬の味覚で「福」を呼び込んでみてはいかがでしょうか。






