今日は、津藩の藩祖であり、戦国屈指の知将・藤堂高虎公の話しをしたいと思います。 1556年(弘治2年)の今日、近江の国(滋賀県)で生まれました。
「主君を7回変えた男」として知られる高虎公ですが、それは「裏切り」ではありません。 彼は、自分の才能を正当に評価してくれるリーダーを求めて渡り歩いた、プロフェッショナルでした。
そして、彼が転職活動の際に提示した最強の「ポートフォリオ(実績)」こそが、「築城術」であり、その集大成が「津の町」なのです。
今日は、高虎公の誕生日を祝い、彼がこの地に遺した偉大な足跡と、知られざる「津市改造計画」のドラマについて語ります。
プロフェッショナル・高虎の流儀
まず、彼の「転職7回」の真実について触れておきましょう。 浅井長政、織田信澄、豊臣秀長……と、確かに彼は主君を変えました。 しかし、その理由は常に前向きでした。 「自分を安く使う上司」や「ビジョンのない組織」には見切りをつけ、「自分の能力を最大限に活かせる場所」を貪欲に求めたのです。
「武士たるもの、七度主君を変えねば武士とは言えぬ」 高虎公が遺したとされるこの言葉は、現代風に言えば「会社にぶら下がるな。自分自身の腕一本で勝負できるプロになれ」という、強烈なキャリア論です。
そして、彼が磨き上げた「腕」こそが、城づくり=「都市設計(グランドデザイン)」の能力でした。
清正の「曲線」、高虎の「直線」
戦国の築城名人といえば、熊本城を築いた「加藤清正」と、この「藤堂高虎」が双璧です。 しかし、二人のスタイルは対照的でした。
- 加藤清正(芸術派・現場主義): 「武者返し」と呼ばれる、優美な曲線(扇の勾配)を描く石垣が特徴。攻めにくいが、施工に高度な技術と時間がかかります。
- 藤堂高虎(合理派・機能主義): 反りを極力なくした、高く急な直線的(直線勾配)な石垣を好みました。 「高く積み上げれば、敵は登れないし、見下ろされる恐怖を感じるだろう?」 という、合理的かつ心理的な圧迫感を重視した設計です。
また、直線の石垣は施工スピードが速く、修復も容易です。 「見栄えや芸術性よりも、機能とコストパフォーマンスを優先する」 この徹底した合理主義こそが、徳川家康という「経営者」に高く評価され、江戸城の改修や日光東照宮の造営など、国家プロジェクトを次々と任される理由となりました。
津市改造計画 〜湿地帯を「要塞」へ〜
1608年(慶長13年)、高虎公は伊予今治(愛媛県)から転封され、伊勢・伊賀の領主として「津城(当時の安濃津城)」に入りました。
しかし、当時の津城は問題を抱えていました。 川の河口にある三角州(デルタ地帯)で、地盤が緩く、水はけが悪い湿地帯だったのです。 普通の武将なら「こんな場所に堅固な城は作れない」と嘆くところですが、土木の天才・高虎公は違いました。 「地盤が弱いなら、地形ごと変えてしまえばいい」と考えたのです。
【高虎公が行った「津の大改造」】
- 川の流れを変える: 城の北側を流れる安濃川と、南側を流れる岩田川。この二つの川の流れを制御し、城の外堀として機能させました。自然の地形をそのまま防御壁に変える、壮大な土木工事です。
- 輪郭式の拡張: 本丸を中心として、二の丸、三の丸を四角く囲む「輪郭式(りんかくしき)」という縄張り(設計)を採用し、城域を大幅に拡張しました。
- 石垣の魔術: 軟弱な地盤でも崩れないよう、石垣の勾配を計算し尽くし、「犬走り(いぬばしり)」と呼ばれる土手状のスペースを設けるなど、独自の工法を駆使しました。
こうして、かつての湿地帯は、難攻不落の「水城」へと生まれ変わりました。 さらに、城下町には伊勢街道を引き込み、商人宿や武家屋敷を整然と配置。 津は単なる軍事拠点ではなく、「伊勢参りの宿場町」としての経済都市へと進化を遂げたのです。
「津は伊勢でもつ、伊勢は津でもつ」と謳われるほどの繁栄は、400年前に高虎公が描いたグランドデザインの上に成り立っています。
最後の主君・家康との「男の約束」
そんな「合理の鬼」である高虎公が、最後に選んだ主君が、徳川家康でした。 外様大名(関ヶ原以降の家臣)でありながら、高虎公は譜代大名以上に重用されました。
家康は、死の床で高虎公を枕元に呼び、こう言ったと伝えられています。 「私の死後、天下のことは全てお前に任せる。宗家(徳川家)を頼む」 これに対し高虎公は、家康の死後、自らも出家してその菩提を弔い、生涯徳川家に尽くしました。
また、「白餅」のエピソードも忘れてはいけません。 若き日、浪人として放浪し、空腹で倒れそうになった時、三河の餅屋で無銭飲食をしてしまいました。しかし、主人は彼を咎めず、腹一杯の餅をご馳走してくれたのです。
「いつか出世して、必ず恩返しをする」 彼はその時の「白い餅」の恩を一生忘れず、大名になっても「白餅」を自らの旗指物(軍旗のマーク)にし続けました。
合理的な「技術」と、義理堅い「心」。 この両輪があったからこそ、彼は乱世を生き抜き、津の町を繁栄させることができたのでしょう。
街の「グランドデザイナー」
普段何気なく歩いている津の街並みや、石垣のライン。 そのすべてに、400年前の「プロフェッショナル」の情熱が息づいています。
転職を恐れず、自分の腕一本で道を切り拓き、最後は安住の地(津)を見つけて骨を埋めた高虎公。 その象徴である「三つの白餅」の旗印は、今も津城跡や、愛らしいキャラクター「シロモチくん」として、街を見守ってくれています。
出世しても、苦しい時に食べた餅の恩を忘れない。 そんな義理堅い高虎公の生き様は、現代を生きる私たちにとっても、大切なことを教えてくれる気がします。
今夜は、そんな高虎公の波乱万丈な人生に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。






