2月18日。今日は、戦国最強の武将・上杉謙信公の誕生日です。 1530年(享禄3年)の今日、越後の国(新潟県)で生まれました。織田信長も武田信玄も恐れた「軍神」。 戦場では無敵を誇った彼ですが、その最期はあまりにあっけないものでした。 そして、彼が貫いた「生涯独身(不犯)」の誓い。
今日は、英雄の「死因」と「孤独」にスポットを当て、現代を生きる私たちが学ぶべき「長生きの秘訣」について考えてみたいと思います。
最強の男を倒したのは「塩」と「酒」
謙信公が亡くなったのは、49歳の春。 死因は、現代でいう「脳出血(脳卒中)」だったと断定されています。
記録によると、彼は厠(かわや=トイレ)で突然倒れ、そのまま意識が戻らずに息を引き取ったとされています。 戦場ではなく、自宅のトイレで倒れる。これは典型的な「高血圧」による発作であり、今でいう「ヒートショック」の可能性が高いと言われています。
なぜ、これほど屈強な武将が、高血圧になってしまったのか? その犯人は、彼が愛した食生活にありました。
- 異常な塩分摂取 越後(新潟)は寒冷地で、保存食文化が発達していました。 彼は酒の肴(つまみ)として、塩をたっぷりとまぶした「梅干し」や「味噌」、「塩引き鮭」を好んで食べました。 時には、「手のひらに塩を乗せ、それを舐めながら酒を飲む」ことすらあったと言われています。
- 大酒飲み 戦のストレスもあったのでしょう。彼は毎晩のように酒をあおりました。 アルコールは血圧を上げ、血管にダメージを与えます。
「塩分過多」×「アルコール」×「冬のトイレの寒さ」 この3つの条件が重なり、最強の男の血管は限界を迎えてしまったのです。
現代の私たちにとっても、これは決して他人事ではありません。 「味の濃い漬物が好き」「晩酌が欠かせない」。 そんな方は、謙信公を反面教師にして、少しだけ「減塩」を意識してみませんか?
なぜ、彼は生涯結婚しなかったのか?
もう一つ、謙信公には大きな謎があります。 戦国武将といえば、子孫を残し、家を繁栄させるのが当たり前の時代。 しかし、彼は生涯独身を貫き、実の子を一人も儲けませんでした。
なぜでしょうか? 「女性に興味がなかった」「とある悲恋があった」など諸説ありますが、最も有力なのは「信仰心」と「優しさ」ゆえだと言われています。
一つは、毘沙門天への誓いです。 彼は泥沼の戦国乱世を終わらせるため、戦いの神「毘沙門天」に帰依)し、僧侶のような禁欲生活を送る「不犯(ふぼん)の誓い」を立てていました。 「私は個人的な幸せ(家庭)を捨て、正義のために生きる」 そんな、あまりにも真面目すぎる決意があったのです。
もう一つは、お家騒動への恐怖です。 彼自身が幼い頃、父や兄との骨肉の争い(お家騒動)で苦しんだ経験がありました。 「もし自分に子供ができれば、また血で血を洗う争いが起きるかもしれない」 そう考えた彼は、あえて実子を作らず、養子を迎えることで、家中の争いを防ごうとしたという説もあります。
「49歳」を超えて生きる私たちへ
自分の幸せを犠牲にしてまで「義」を貫いた上杉謙信公。 その生き様は美しく、尊いものです。
しかし、もし彼がもう少し「塩分」を控え、お酒を程々にしていたら? 60歳、70歳まで生きて、信長や秀吉とどう渡り合ったのか。 そんな「もしもの歴史」も見てみたかった気がします。
幸い、私たちは医学が進歩した時代に生きています。 謙信公が生きられなかった49歳を超え、第二の人生を謳歌できていること自体が、実はとても幸せなことなのかもしれません。
今日2月18日は、 「塩分は控えめに」 「お酒は適量で」 そして 「トイレの温度差には気をつけて」
そんな、軍神からの「健康の遺言」を噛み締める日にしてみてはいかがでしょうか。






