皆様、こんにちは。今日は前回のパイナップルの日の話の続きです。
かつて沖縄の経済を支え、「黄金の果実」とまで呼ばれたパイナップル。その甘酸っぱい味わいの裏には、世界の荒波に翻弄され、一度は壊滅的な打撃を受けながらも、見事に再生を遂げた感動的な物語が隠されています。
これは、単なるフルーツの話ではありません。戦後の沖縄が歩んだ、苦難と栄光の歴史そのものなのです。
第一章:黄金時代の到来 〜加工用パイン王国、沖縄〜
物語は、沖縄がまだアメリカの統治下にあった時代に遡ります。
戦後の沖縄にとって、パイナップルは島の経済を立て直す希望の光でした。亜熱帯の気候はパイナップル栽培に最適で、1960年代には生産量が爆発的に増加。1969年には、その数なんと約10万トンに達します。
驚くべきは、その生産量の9割以上が缶詰などの加工用に向けられていたことです。当時の日本では、生のパイナップルは輸入が厳しく制限された超高級品。沖縄は、この巨大な国内市場をほぼ独占し、島中に缶詰工場が立ち並ぶ「加工用パイン王国」として、未曾有の繁栄を築き上げたのです。
その経済的なインパクトは絶大でした。 具体的なデータを見ると、本土復帰前の1970年には、パイナップル缶詰だけで**沖縄の輸出総額の17.1%**を占めていました。これは、サトウキビと並ぶ沖縄の二大基幹産業であったことを明確に示しています。畑から缶詰工場まで、パイナップルはまさに島全体の経済を動かす巨大なエンジンだったのです。
この時代のパイナップルは、農家にとってまさに「黄金の果実」。「パイン御殿」が建ち、島の経済は活気に満ち溢れていました。
第二章:黒船来航 〜自由化という名の荒波〜
しかし、その栄光は長くは続きませんでした。
1972年の本土復帰、そして、1990年のパイナップル缶詰の輸入完全自由化。これが、沖縄のパイン王国に終わりを告げる「黒船」となります。
フィリピンやタイなどから、人件費も土地代も圧倒的に安い外国産の缶詰が、怒涛のごとく日本市場に流れ込んできました。品質も悪くない外国産と、コストで勝負できるはずがありません。沖縄産の缶詰は価格競争に敗れ、山のような在庫を抱え、次々と工場は閉鎖に追い込まれていきました。
最盛期には10万トンを誇った生産量は激減。農家は採算の取れなくなった畑を捨て、さとうきびなどへの転作を余儀なくされます。沖縄の経済を支えた黄金の果実は、一転して島の農家を苦しめる存在となってしまったのです。
第三章:再生への挑戦 〜奇跡のオーケストラが奏でた逆転劇〜
産業は壊滅状態。誰もが沖縄のパイナップルは終わったと思いました。しかし、沖縄の人々は諦めませんでした。
「安さで勝てないのなら、味で勝負するしかない」
絶望の淵から見出した一筋の光、それは「加工用」から「生食用の高級フルーツ」への大転換でした。しかし、この前例のない挑戦は、特定のヒーローがいたわけではありません。それは、県、研究機関、JA(農協)、そして農家自身がそれぞれの役割を担った、見事な「オーケストラ」による共同作業だったのです。
- 【指揮者・作曲家】技術の司令桃:沖縄県農業研究センター オーケストラの核となる「楽譜(=新品種)」を作曲したのが彼らです。地道な研究の末、桃の香りがする**「ピーチパイン」や、最高級品「ゴールドバレル」**など、外国産にはない魅力を持つ品種を開発。これが逆転の切り札となりました。
- 【プロデューサー】政策の支援者:沖縄県庁 コンサート全体を企画し、資金繰りに奔走したのが県です。農家が新しい品種に植え替える際の補助金を出すなど、挑戦しやすい環境を整え、この困難なプロジェクトを政策と予算で力強くバックアップしました。
- 【舞台監督】現場の実動部隊:JAおきなわ(農協) 新しい楽譜を演奏者(農家)に配り、最高のパフォーマンスを引き出し、そして観客(消費者)へと届けたのがJAです。栽培指導で品質を高め、厳格な選果でブランド価値を守り、全国へその魅力を発信しました。
- 【主役の演奏者】:意欲ある農家たち そして何より、実際に楽器を手に取り、魂のこもった音色を奏でたのが、主役である農家一人ひとりです。慣れ親しんだ栽培法を捨て、未知の品種に挑戦するリスクを取り、見事な果実を実らせた彼らの勇気なくして、この逆転劇はあり得ませんでした。
このオーケストラの演奏は見事に調和し、素晴らしい果実を生み出します。 ユニークで付加価値の高いブランド品種が次々と誕生し、ただ甘いだけの外国産とは一線を画す、繊細な味わいで消費者の心を掴んでいきました。
そして、2000年頃には、ついに生食向けの出荷量が、落ち込んだ加工向けの量を逆転します。これは、沖縄のパイナップル産業が、長く苦しい冬の時代を乗り越え、新たな姿で再生を遂げた歴史的な瞬間でした。
終章:新たな物語の始まり
現在の沖縄のパイナップル生産量は、最盛期の10分の1にも満たない約7,500トン。しかし、その数字に悲壮感はありません。出荷されるパイナップルの9割近くが、農家の誇りが詰まった高品質な生食用だからです。
沖縄のパイナップル産業が辿った道は、グローバル化の波に直面する日本の多くの地場産業にとって、大きな教訓と勇気を与えてくれます。それは、「失われたもの」を嘆くのではなく、自分たちの持つ本当の強みを見つめ直し、関係者が一体となって新たな価値を創造していくことの重要性です。
次に沖縄産のパイナップルを口にする機会があったなら、ぜひ、その甘さの奥にある、壮大な再生の物語に思いを馳せてみてください。きっと、いつもより少しだけ、特別な味がするかもしれません。






