12月15日は2026年用年賀状の投函受付開始日です。
街のポストに「年賀はがき専用投入口」ができると、いよいよ今年も押し迫ってきたなと感じます。
しかし、今年のニュースで報じられた「発行枚数の激減」を見て、時代の流れとはいえ、少し胸が痛む思いがしました。
今日は、少しデータのお話と、そこから感じる「私たちの変化」について書いてみたいと思います。
郵便物全体と、年賀状の「減り方」の違い
昨年(2024年10月)、郵便料金の値上げが行われました。
これによって、郵便物の数は全体的に減っていますが、実は「減り方」に大きな差があるのです。
日本郵便のデータを元に、一般的な郵便物と年賀状の減少率を比較してみました。
| 比較対象 | 減少の状況 | 備考 |
| 郵便物全体 | 約 7.5% 減少 | ビジネス等で必要なため、微減にとどまる |
| 年賀状 | 約 48% 減少 | 2年でほぼ半減という劇的な減少 |
※参照データ:日本郵便株式会社「郵便物・荷物引受物数」および「年賀はがき発行枚数」推移より
ビジネスなどで使われる通常の郵便物は「7.5%減」で踏みとどまっているのに対し、年賀状だけが、この2年で「約半分」になっているのです。
なぜ、これほど急激に減ったのか
85円への値上げ。
もちろん、それも原因の1つでしょう。 しかし、直接の引き金が、値上げだけであるとは言い切れません。
日本郵便側も、コスト増や需要減を冷静に予測し、供給量(印刷枚数)を現実的なラインまで絞り込んだのでしょう。
しかし、理由はそれだけでしょうか。
私は、ふと「コロナ禍を経た葬儀の変化」を思い出しました。
「きっかけ」を待っていた私たち
コロナ禍以前、お葬式といえば、ご近所の方や会社関係の方にも来ていただき、通夜振る舞いをして……というのが一般的でした。
しかし、コロナ禍で「人が集まること」が制限され、葬儀は一気に「家族葬」や「直葬」へと簡素化されました。
そして今、制限がなくなったにも関わらず、葬儀の形は元には戻っていません。
これはなぜか。
おそらく、多くの人が心のどこかで「本当は大変だな」「少し負担だな」と感じていたからではないでしょうか。
そこに「コロナ」という、誰もが納得する社会的な理由(大義名分)ができたことで、「簡素化してもいいんだ」という容認が生まれ、一気に文化が変わってしまったのです。
今回の年賀状も、同じなのかもしれません。
「準備が大変」「虚礼廃止」と頭では思いつつも、やめる踏ん切りがつかなかった。
そこに「85円への値上げ」という明確な理由ができたことで、「じゃあ、これを機に」と多くの人が手放した。
「2年で半減」という数字は、その結果なのだと思います。
「面倒」を手放した先にあるもの
「面倒なこと」は、どんどん合理化され、私たちの生活から消えていきます。
合理的で、無駄がなく、スマートな時代です。
けれど、50歳を過ぎてふと思うのです。
「人間が生きるということは、そもそも面倒くさいことの積み重ねではないか」と。
人付き合いの煩わしさ、義理を欠かないための手間、準備の苦労。
それらから逃げ、楽にはなりましたが、同時に「人間らしい体温」や「行間の情緒」といったものまで、手放してしまっているような気がしてなりません。
面倒から逃げ切った先に待っているのは、快適な生活か、それとも孤独か。
そんなことを考えながら、今年も少しだけ、面倒くさい手書きの年賀状を書こうと思います。
この「手間」こそが、今となっては得難い、生きている証なのかもしれませんから。






