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2025[Fri]
08.08

甲子園の季節

日々雑感あの頃



皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

8月、といえば、やはり高校野球。夏の甲子園ですね。テレビでご覧になっている方も多いのではないでしょうか。

シニア世代にとって、甲子園は特に思い入れのある場所ではないでしょうか?思えば、子どもの頃は今よりエンタメが少なく、テレビがまだ珍しい時代には、近所の電気屋さんで立ち見をしたり。白球を追う球児たちの姿に、いつの時代も私たちに勇気と感動をもらっていたように思います。

しかし、甲子園の歴史は、ただの華やかな物語ではありません。そこには、栄光の裏にある挫折、勝利の影に隠された苦悩も存在します。

高校野球の誕生と甲子園の明暗

高校野球の歴史は、明治時代にまで遡ります。初めての全国大会が開催されたのは1915年(大正4年)。当時の大会名は「全国中等学校優勝野球大会」でした。この大会は、教育の一環として青少年の心身を鍛えることを目的として始まりました。しかし、戦争の時代に入ると、その運命も大きく変わります。

太平洋戦争のさなか、1942年から1945年までの間、大会は中断されました。野球を「敵性スポーツ」とみなす風潮が強まり、球児たちは学徒動員として戦地に送られました。あの夏の熱気は、戦争の暗闇に飲み込まれてしまったのです。戦後、焼け野原となった日本で、高校野球は復活を遂げます。1946年、大会は再開され、甲子園には希望を求める多くの人々が集まりました。この復活は、単なるスポーツイベントの再開ではなく、日本の復興と平和への願いを象徴するものでした。

記憶に残る、甲子園のスターたち

甲子園の歴史は、数々の名勝負を生み出してきました。どの時代にも、私たちの記憶に深く刻まれているスター選手たちがいます。


王貞治さんや長嶋茂雄さんといった、後にプロ野球で大活躍するスター選手たちが甲子園を沸かせた昭和の時代。そして、私たちシニア世代が特に夢中になったのは、やはりこの方々ではないでしょうか。


1980年代、「バンビ」の愛称でアイドル的人気を博した荒木大輔さん。早稲田実業のエースとして、甲子園のマウンドで躍動する姿は、当時の若者たちの憧れでした。


そして、その荒木さんと同時代に、高校野球界に革命を起こしたのが、徳島県の池田高校です。故・蔦文也監督のもと、「やまびこ打線」と呼ばれた強打で全国の頂点に立ちました。特に、1982年夏の大会では、剛腕エースの水野雄仁さんを擁し、豪打を武器に決勝戦を制しました。水野さんの力強いピッチングと打線が噛み合った池田高校の野球は、それまでの「守り勝つ野球」とは一線を画し、多くの高校野球ファンを熱狂させました。



池田高校は、1982年夏から1983年春にかけて、甲子園で春夏連覇という偉業を達成しました。しかし、その記録を打ち破ったのが、PL学園の1年生コンビ、清原和博さんと桑田真澄さんでした。1983年夏の準決勝で、当時1年生ながら4番を任されていた清原さんがホームランを放ち、桑田さんがマウンドで堂々と投げ抜く姿は、まさに新時代の到来を告げるものでした。絶対王者だった池田高校の連勝を止めたこの試合は、高校野球史に残る名勝負として、今でも語り継がれています。


その後、豪快なスイングで観客を魅了した松井秀喜さん(星稜高校)、その巧みなバッティングでプロでも長く活躍した前田智徳さん(熊本工業)、そして高校時代から捕手としてチームを牽引し、後にプロ野球界を代表する名捕手となった谷繁元信さん(江の川高校、現・石見智翠館高校)など、球史に残る選手たちが甲子園の舞台で輝きました。彼らのプレーは、今でも鮮明に記憶に残っています。



また、甲子園優勝投手の中には、プロ野球でも大活躍した選手が数多くいます。


昭和の時代には、浪商高校のエースとして優勝を果たし、プロでは「怪童」と呼ばれた尾崎行雄さんや、PL学園で清原さんとともに春夏連覇を達成した桑田真澄さん、そして横浜高校で春夏連覇を達成し、メジャーリーグでも活躍した「平成の怪物」こと松坂大輔さんもいます。


そして、記憶に新しいのは、2006年夏の決勝戦でしょう。駒大苫小牧のエース・田中将大さん(現・巨人)と、早稲田実業のエース・斎藤佑樹さん(現・引退)が激突しました。両者一歩も譲らず、延長15回引き分け再試合という伝説的な死闘を演じました。この試合は、「ハンカチ王子」という流行語を生み出し、多くの人々の心に深く刻まれました。


どの時代にも、甲子園にはドラマがありました。強豪校が快進撃を続ける一方で、無名の公立校が快進撃を続け、観客を沸かせることもありました。劣勢を跳ね返す逆転劇、延長戦での死闘、そして涙のサヨナラ負け。そのすべてが、私たちの心に何かを深く刻みます。


津田学園野球部、栄光への道のり

さて、今大会、三重県代表として出場しているのが、津田学園高校です。彼らは、厳しい予選を勝ち抜き、見事甲子園の切符を手にしました。




津田学園野球部の歴史は、けして順風満帆ではありませんでした。1990年頃の創部以来、甲子園への道は遠いものでしたが、転機が訪れます。それは、故・水谷哲也監督の就任です。水谷監督は、高校野球の指導者として長年の経験を持ち、津田学園をゼロから鍛え上げました。練習では、基礎の徹底と厳しさを求め、チーム全体の意識を変えていきました。


そして、水谷監督の指導のもと、チームは徐々に力をつけ、2017年には春夏連続で甲子園に出場。特に、夏の大会では初のベスト16入りを果たし、津田学園の名を全国に知らしめました。この快進撃は、監督と選手たちが一丸となって厳しい練習に耐え抜いた結果であり、地道な努力が実を結んだ瞬間でした。その後、監督は交代しましたが、その教えは今も選手たちに受け継がれています。



今年の津田学園野球部は、守備が持ち味です。県大会では、5試合でわずか1失策と、驚異的な堅守を見せました。この堅い守りは、チームの勝利に大きく貢献しました特に、ショートの石井斗弥選手は守備範囲が非常に広く、難しいゴロも軽快にさばきます。そして、ファーストの田北怜央選手も、巧みなグラブさばきで、送球がずれても確実に捕球し、内野全体を支える存在です。このような守備の安定感は、「守り勝つ野球」を目指す津田学園にとって大きな強みです。今の甲子園で勝つためには、打撃より守備力が重要です。


そして、今年のエースは、桑山晄太朗投手です。彼は、高い制球力と多彩な変化球が武器の投手です。県大会では、全5試合(うち先発4試合)に登板し、31回2/3を投げてわずか1失点という絶対的な安定感でチームを牽引しました。彼自身の才能もさることながら、桑山投手が投げた試合で野手陣が「絶対負けさせられない」と奮起するほど、信頼関係で結ばれたチームが津田学園の強さの秘密です。

劇的なサヨナラ勝ちでつかんだ、初戦突破の栄光



8月7日の甲子園1回戦では、初出場の叡明高校(埼玉代表)と対戦し、手に汗握る死闘を繰り広げました。試合は両者譲らず、3対3のまま延長戦に突入。11回には相手に1点を勝ち越されましたが、その裏、津田学園もショートの石井選手が遊ゴロの間に同点打を放ち、粘りを見せます。そして迎えた延長12回、タイブレーク方式の末に、相手のエラーを誘ってサヨナラ勝ちという劇的な形で初戦を突破しました。

相手に何度もチャンスを作られながらも、内野陣の堅い守りでピンチを切り抜け、エースの桑山投手を粘り強く援護しました。守りの差で勝ちを得たこの経験は、チームに大きな自信をつけることができたのではないでしょうか。

津田学園の皆さん、甲子園の舞台でプレーできる喜びを胸に、悔いのないように戦ってください。   この夏の経験は、皆さんの人生にとってかけがえのない財産になります。

皆さんの活躍を、心から応援しています。



頑張れ、津田学園!





シニア向け住宅アドバイザー ライター:添田 浩司

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