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2026[Sun]
03.29

徳川吉宗が仕掛けた、桜と群衆による「巨大な治水システム」

日々雑感

3月も下旬となり、いよいよ本格的なお花見の季節がやってきました。 春の陽気に誘われて、桜の木の下で美味しいお酒や食事を楽しむ。私たち日本人が愛してやまないこの「お花見」という大衆文化ですが、実は江戸時代にこれを定着させたのは、暴れん坊将軍こと8代将軍・徳川吉宗です。

しかし、幕府の財政再建(享保の改革)に奔走していた彼が、単なる娯楽のために税金を使って桜を植えるはずがありません。 そこには、江戸という巨大都市を水害から守るための、極めて合理的でしたたかな「インフラ整備システム」の裏目的が隠されていました。

水害都市・江戸の弱点と「予算ゼロ」の壁


当時の江戸は、人口100万人を抱える世界最大級のメガロポリスでしたが、同時に大きな弱点を抱えていました。それが「水害」です。 特に隅田川はたびたび氾濫を起こし、下町に甚大な被害をもたらしていました。現代のようにコンクリートも重機もない時代、堤防(土手)を高く厚く保つためには、定期的に土を盛り、それをカチカチに踏み固める膨大な土木作業と人件費が必要になります。

幕府の財政は火の車であり、そんな莫大な公共事業を頻繁に行う予算はありませんでした。そこで吉宗が目をつけたのが、「人間の娯楽(レジャー)を、そのまま公共事業のエネルギーに変換する」という驚くべきシステムです。

群衆の足で土手を固める「踏み固め」の力


吉宗は、隅田川の土手(現在の墨田区・向島周辺)や、江戸のはずれにあった飛鳥山(現在の北区)に、数千本という大規模な桜の木を植えさせました。さらに、当時は禁止されていた「庶民の酒宴」を、桜の木の下に限り大々的に許可したのです。

春になれば、美しい風景を求めて江戸中から何万人もの人々が押し寄せます。彼らは飲めや歌えの大宴会を開き、桜並木を歩き回ります。 この大量の群衆による「足の踏み固め」こそが、吉宗の真の狙いでした。人々が桜を求めて歩き、宴会で地面を踏み鳴らすことで、脆かった土手の土が自然と強固に踏み固められ、洪水を防ぐ立派な堤防が完成したのです。

また、桜の根は地中深くに広く張るため、これも土壌の崩落を防ぐ「天然の杭」として機能しました。人々に「土木作業をさせられている」と一切気づかせず、喜んで足を運ばせることでインフラを維持する。まさに究極の都市計画です。

歴史の面影と、吉宗の知恵に触れる場所


この見事な治水システムの全貌は、幕府の公式記録である『徳川実紀(とくがわじっき)』のうち、吉宗の治世を記した『有徳院実紀(ゆうとくいんじっき)』などの文献から読み取ることができます。 また、飛鳥山には1737年に建てられた「飛鳥山碑(あすかやまひ)」という石碑が現存しており、そこには吉宗が桜を植えて庶民に開放した経緯が漢文で静かに刻まれています。

こうした江戸のしたたかな都市計画の歴史を現代で深く知るなら、以下の2つの博物館がおすすめです。

・北区飛鳥山博物館(東京都北区) まさに吉宗がお花見のシステムを仕掛けた「飛鳥山公園」の敷地内にあります。吉宗の桜の植樹事業や、当時の江戸庶民がいかにしてお花見を楽しんでいたかを示す浮世絵やジオラマが豊富に展示されています。

・すみだ郷土文化資料館(東京都墨田区) 隅田川の土手に植えられた「墨堤(ぼくてい)の桜」の歴史や、水害と闘いながら発展してきた下町の治水の歩みを学ぶことができる、知る人ぞ知る名館です。

人が集まる場所に「強さ」が生まれる


コンクリートの壁だけで街を守るのではなく、人々の「楽しい」というポジティブな感情と動線をデザインし、コミュニティの力で環境を維持していく。

これは現代の住環境作りにも全く同じことが言えます。ただ頑丈な建物を建てるだけでなく、そこに住む人々が自然と集まり、活発に歩き回るような魅力的な共有スペースや仕組みを作ること。それが結果として、街やマンションの防犯性を高め、長く愛される強い資産価値を生み出していくのです。




シニアライフアドバイザー ライター:添田 浩司

安心安全な住まい、日々の健康や、自分らしい暮らしに役立つ情報、地域の話題などを、様々な視点から配信していきます。

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